【映画レビュー】『大長編 タローマン 万博大爆発』 ハチャメチャな物語の奥に見える岡本太郎の精神全開!
- 黒野でみを
- 2 分前
- 読了時間: 4分

今回紹介する作品は、奇想天外な世界観が魅力の異色特撮長編ドラマ『大長編 タローマン 万博大爆発』。
1970年に続き、2025年に最も大きな話題を呼んでいるイベントである大阪万博を舞台に、あの岡本太郎の精神をビジュアルから体現するヒーロー「TAROMAN」の活躍を描いたこの物語ですが、そのレトロなテイストやハチャメチャな世界観の中に描かれた二つの時代の対比に、非常に深いメッセージを感じ取れる問題作です。
2025年という時代を「昭和100年」という表現で描いている点に、時代的意識の強い印象も
感じられる、インパクト十分のヒーローアクションであります。
【概要】

芸術家・岡本太郎のことばと作品をテーマとして、「1970年代に放送された特撮ヒーロー番組」のテイストで製作された2022年の特撮テレビドラマ「TAROMAN 岡本太郎式特撮活劇」を長編映画化した作品。
1970年代の日本と、当時想像された未来像による2025年の日本を舞台に、未来の世界で戦うタローマンの活躍を描き出す。
出演者としてクレジットされているのは、ロックバンド「サカナクション」の山口一郎。テレビ版に引き続いて、「タローマンマニア」という位置づけでタローマンと岡本太郎について語ります。
監督・脚本はテレビ版に続き映像作家・藤井亮が担当。作品では自らアニメーションやキャラクターデザイン、背景制作などマルチで担当しました。
2025年製作/日本
配給:アスミック・エース
劇場公開日:2025年8月22日
【監督・脚本】
藤井亮
【出演】
山口一郎(サカナクション)ほか
【あらすじ】

1970年の日本・大阪。万博開催に沸き立つこの地で「万博を消滅させる」ために2025年の未来から現れた、奇獣が大暴れを始めます。
「でたらめな奇獣に対抗するにはでたらめな力が必要」、しかし未来の世界では「秩序と常識」に満ちあふれ、「でたらめな力」は世間で迫害され絶滅していた。
かくしてCBG(地球防衛軍)は、未来の万博を守るためタローマンとともに渦中の場へと身を投じていくのでした。
【『大長編 タローマン 万博大爆発』の感想・評価】
分類不能、奇想天外な展開の奥に見える「まともであることへの問い」

1970年に開催された大阪万博のシンボル「太陽の塔」をモチーフとしたヒーロー「TAROMAN」を中心として描かれるこの物語。70年代によく見られた当時のヒーローモノドラマの映像そのままの雰囲気で展開するこの物語は、作品のジャンルを指定するにも、どうにも括れない奇想天外なものです。
あえていえばコメディーといえなくもありませんが、それにしても昨今の事情において物議さえ醸し出しそうなタイトルには、非常に意味深な雰囲気が感じられます。
本作の基となった特撮テレビドラマ『TAROMAN 岡本太郎式特撮活劇』は、芸術家・岡本太郎の残した名言一つ一つをそれぞれ1タームとしたドラマで構成しており、基本的にはパロディー演出ながら芯に岡本の思想を埋め込んだ、何らかの意思を感じさせる作品となっていました。
本作とテレビドラマの関連は、「TAROMAN」と彼を取り巻く環境をドラマで定義、長編である本作では、そのベースを持って1970年、そして2025年という二つの時代を、万博というイベントを通して物語を描くという構成。
その意味では、非常に深いつながりのある作品群であり、前提としてテレビドラマ版を見ると作品を理解しやすくなるでしょう。
もちろん、本作だけでも内容を理解することは可能ですが、制作側がいかに岡本の思想に傾倒しているかというその熱量を、更に深く感じることが、連続ドラマを事前に見ておくことで確認することができます。

物語で注目すべきは、2025年という時代の描写の仕方にあります。
もちろん映像のイメージは、どちらかというと1970年代に生きる人たちが思い描いた未来像であり、現実と比較するとギャップがある光景ですが、「秩序」「常識」が先行するという未来像には、どこか現代社会への批判という方向、現代社会への問いかけのような空気感も見えてきます。
この整然とした、ある意味生きづらい未来世界に対し、過去の人たちはTAROMANをはじめとした人たちの「でたらめ」な意思で立ち向かっていくわけですが、この物語でいわれる「でたらめ」は、ことばどおりの意味とは異なった真意が感じられます。
そこには通例どおり、規則に従ったものが決して新しいものを産まない、全く予想もしなかったところに既得権益を打破するヒントが隠されていることを、あえて「万博」との名を冠した二つのイベントを用いて示しているともいえるでしょう。
整然としたものに対して善悪を定義するわけではありません。その前提を据え「惰性により整然とするだけの状態への危惧」「あえてその整然性を壊すことの意味」といった深い意味を、岡本から制作側が受けた影響とともに描いているものである、といえるでしょう。