
2025年には映画『28日後…』シリーズの最新作『28年後…』が日本でも公開される予定となっています。
異色のパニック・ホラー映画として公開当時話題となったこの初作でしたが、いつの間にか78年公開の『Dawn of the Dead』から続く、いわゆる「ゾンビ」ジャンルの1作品とされ、かつ「走るゾンビ」という今までにない新要素をジャンルにもたらした(?)というぽいんとからも、シリーズは注目を集めています。
近年は海外ドラマ『ウォーキング・デッド』など、グロテスク・モンスターの筆頭株であった「ゾンビ」をお茶の間に届けるという、掟破りな作品も登場した昨今ですが、その意味では「ゾンビ」というホラージャンルの印象が、当初の「グロテスク一辺倒」というものより大きく変化しているとも考えられるわけです。
その意味で今一度この「ゾンビ」、そして「ゾンビもの」と呼ばれるホラーの一ジャンルの登場と歴史をたどるとともに、これら作品がどのような方向、意味を持ったものであるかを今回は考えてみたいと思います。
1.40年以上を経過しても新たな思いを感じさせる『ゾンビ』

『ドーン・オブ・ザ・デッド』、いわゆる日本で大きな話題をかっさらった「ゾンビ」映画の第一作が国内で公開されたのは1979年。2025年の今現在から考えれば約45年前ということになりますでしょうか。しかし私がこの作品を初めて見たのは、実は10数年前のここだったかと思います。
公開当時はまだ小学生~中学生の頃だったか、その物語のあらすじを目にしただけでとにかくトラウマになるほど恐ろしい思いをし、「こんな映画、一生見るものか」と固く心に誓っていましたが、大人になり程よく心が汚れ(笑)、そういえばこんな作品もあったなとDVDレンタルで気軽に借りたのが、『ゾンビ』の初めての体験でした。
初めて作品を目にしたときに感じたのは、「あの幼き頃にあらすじだけで体験した、信じられないくらいの恐ろしい思いは何だったのだろう?」という疑問でありました。
もちろん実際に見れば残酷でグロテスクなシーンはたくさんあり、当時としてはかなりショッキングな作品だったであろうことはまず間違いないはず。しかしあの作品以降、多くの亜流作品や別の観点による恐怖を描いた作品は数えきれないほどに多く排出され、映像技術も発展した現代、そんな作品を目にすることもあった今の自分には「まだ黎明期の作品」という酷評しかありませんでした。
しかし一方でその印象は、私の『ドーン・オブ・ザ・デッド』、そして『ゾンビ』映画という者に対する固定観念を大きく変えるものであろうと、逆にポジティブに受け止められるポイントとなっていました。
そもそもジョージ・A・ロメロは、「ホラー作品」を作りたかったのでしょうか?
当時としては斬新であまりにも衝撃的なトム・サビ―ニの特殊メイクにどうしても目が行ってしまうこの作品でありますが、私としては、意外にも人間ドラマというポイントをうまく描いている印象でした。ホラーやサスペンスなどといった作品のドギツサとは違った、窮地に追い込まれながらも感じる人同士の思いなど思いもよらなかった刺激が頭に残ったのです。
そして2020年、忌まわしきコロナ禍が世界を覆いつくしましたが、毎日ニュースやメディアで知る実情に対し感じたのは、まさに『ドーン・オブ・ザ・デッド』の世界でした。
得体の知れない「新型コロナウィルス」というものに翻弄される人類。人々はとにかく感染を避けることを第一として毎日を過ごしていたわけですが、一時は感染者をまるで「忌み嫌うべきもの」、差別の対象と扱い「感染していない自分たちがまともなのだ」とでも言わんばかりの奇妙な思想が蔓延していたようにも感じられました。
結果的にコロナ禍は数年の月日を経て収束しましたが、もしあのまま拡大の一途を辿っていたら、まさに『ドーン・オブ・ザ・デッド』の光景そのものが現われたかもしれない。そう考えると、『ドーン・オブ・ザ・デッド』という作品は、どうしてもホラーというジャンルのものに見えなくなっていたのです。
2.現代「ゾンビ」映画が示すテーマとは

2017年に発行された書籍『ゾンビ論』(伊東美和、山崎圭司、中原昌也 箸/洋泉社)によれば、いわゆる「ゾンビ映画」と呼ばれるジャンルのものは、ジョージ・A・ロメロが手掛けた『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』が発表される前の作品と、その後で大きく分けられるといいます。
以前の作品は、どちらかというとアフリカのハイチなどで崇拝されるブードゥー教にまつわる呪術によって、意図的に死人が生き返るという現象を描いたもの。
この頃の「ゾンビ」は、どちらかというと人を襲って食べる、などという行動を起こすものではなく、物語のポイントに関しても「ゾンビ」そのものの怖さというよりは「ゾンビとしてよみがえらされる」ということ自体に恐怖の焦点を置いているものであり、テーマとしては「永遠の命」や、その考えに対する「限りある命というものに対する冒瀆」的なテーマなど、この「ゾンビ」だからこそのテーマが多く盛り込まれていたようでもあります。
では『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』以降の作品はどうなのかといえば、実はこの「よみがえり」というプロセスがハッキリしていません。
ロメロの作品のあらすじではゾンビ化というものが発生し人を襲うということは記載されていても、実は映像の中では「生き返りなのか…そもそもこの人は一度本当に死んでいるのか?」と不確かに感じられるところが多いのが実情でもあります。その後に発表された『バタリアン』のように、「墓場から埋められた死体がよみがえってくる」というシーンは、ロメロの作品で見た覚えがありませんし…
近年のゾンビの象徴的な作品でもある、ダニーボイル監督作『28日後…』は「ゾンビ映画」としてカテゴライズされているようですが、実際には謎の「レイジウィルス」と呼ばれる病原体発生により、不治の病として「ゾンビになる」という現象が物語中では描かれています。
このような観点で見ると、実はロメロ作品以降の「ゾンビ」は、意外に「永遠の命」「生き返り」というポイントをそれほど重視していないようにも見える上に、ゾンビという存在の存在感や動きなどといったポイントが完成させられていることで、どちらかというと物語の焦点がゾンビそのものより「ゾンビに直面する」人々、生者がどのように考え、いかにふるまうか、のほうに向けられているようでもあります。
その意味においても「ゾンビ映画」はパニック映画的なジャンル、あるいはそのパニックにおける人間模様をどのように描いていくかがポイントとなっているようにも感じられます。特に近年のゾンビ映画では大きなターニングポイントとなっている海外ドラマ『ウォーキング・デッド』はグロテスクな表現もあれど、生き残った人々の人間性を描いているところに注目も集まっています。
また実際に2003年より刊行されているコミック『ウォーキング・デッド』の作者ロバート・カークマンは、コミック1巻の前書きに「良質のゾンビ映画」という点に触れたコメントを残しており、この中で「人間がどれだけイカれているかを示すもの」というポイントを挙げています※。
この視点から考えると、今後登場する『ゾンビ映画』は、どちらかというとホラーというジャンルをすでに逸脱し、その人間の理解を超えた現象に直面した人間の振る舞いや心理といった点をどう描いていくかという課題に重点が置かれると考えられるでしょう
1985年の『バタリアン』、2004年の『ショーン・オブ・ザ・デッド』では、すでにホラー以外のジャンル、コメディーという予想外のジャンルで「ゾンビ」にアプローチするというおきて破りのチャレンジが後続に影響を及ぼしており、ゾンビ映画自体の可能性をある意味広げたとも考えられます。
※『ゾンビ論』伊東美和、山崎圭司、中原昌也箸 洋泉社2017巻
第一章 「3本のゾンビ映画」P40 より
3.時代とともに「ホラー」である必然性が薄くなっている「ゾンビ」

ロメロの『ドーン・オブ・ザ・デッド』が発表された1年後、イタリアのルチオ・フルチ監督による映画『サンゲリア(原題:ZONBI 2)』が発表されました。ストーリーには全くつながりがないのに…
この映画は先述の書籍『ゾンビ論』にも記されているのですが、「二番煎じ」という姑息さをはるかに超え、なんと勝手に「ゾンビの続編」を謳って発表されてしまったという(笑)、今では考えられないような公開のされ方をした作品でありました。一方でそのショッキングな描写は、そんな下世話な裏話とは裏腹に賛否両論を受けながら、未だ高い評価を得ているものであります。
ちなみに公開当時、日本ではテレビで一部作品の一部を放送されたことがありましたが、私はそれを見てかなり気分が悪くなり、以降テレビCMであのキャッチフレーズ「今年一番、ドキーンとする映画です」が流れるたびに、うっ!と悪寒が走るような思いをしていました…
『ドーン・オブ・ザ・デッド』も、当時としてはその残酷描写はかなりグロテスク。トム・サビ―二ならではの技術が光る映像で多くの人を怖がらせていましたが、残虐性やグロテスク性という面では、その比ではないのではという気もします。
さすがに墓場から死体がよみがえるシーンは、今見ると「いやいや、そこまで腐食してしまった体で、どうやって動いているの?」とツッコみたくなりますが(笑)、生者を全く見ないその視線や容赦ない捕食シーンなど、どこかロメロ・ゾンビとは異なるイメージ。中でも強いのは、「動的」な出血シーン。
『Dawn of the Dead』がじわじわと湧き出るように広がる出血であるのに対し、『サンゲリア』はかなり派手に、ドバーっと噴き出るような出血、そして「痛そう…」の極みなど、微視的な面を見ると物語的にはツッコミどころ満載であるのに対し映像の(ホラーとしての)クオリティーは当時としてはかなり完成されているイメージもあります。
当時の映像技術でここまでのインパクトを残しただけあって、ある意味「ゾンビ」映画のグロテスクな部分、インパクトのある視覚で訴えるショッキングな面は、この作品を基準に「いかにこれよりグロテスクな、嫌悪感をおぼえる作品を作るか」という方向に進んでしまったのではないでしょうか。
こう考えると、「ゾンビ」に関する映画の方向性は「ゾンビという一つの災害的な発生をめぐる人間模様」を描くもの、そして『ゾンビという超常現象的なものをいかにグロテスクに、怖く描くか」という二極に分かれる印象でもあります。
後者については、映像技術も格段に進歩し、多くのアイデアが出し尽くされた現代においてこの「いかにグロテスクに」という方向は、残念ながらあまり強いインパクトを打ち出すものとはなっていないようにも感じられます。その意味においても徐々に「ゾンビ」がホラーというジャンルである必然性が薄れている傾向も感じられるわけです。
ただ『28日後…』は、史上初ともいえる「走るゾンビ」でファンを大いに沸かせました。すべてが出尽くしたのではないかとも思える今日、シリーズ最新作『28年後』では、果たしてどのようなインパクトや議論を生み出すのか?怖さ以外のメッセージを残してくれることも当然ながら、ちょっぴりは怖さという面での期待も賭けているところでありますが…
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