
前回は「歳月を経て作られたブロックバスター作品の続編」というテーマを取り上げましたが、近年としては同じくらいにその傾向が強く感じられるのが「リメイク」であります。
パッと挙げようとすれば『キャリー』『死霊のはらわた』『リング』『呪怨』『ぼくのエリ 200歳の少女』『悪魔のいけにえ』『サスペリア』『ドーン・オブ・ザ・デッド』…などと無限に出てきそうな勢い。マイナー作品を合わせるとこれは結構な数になりそうな感じであります。発表年月を見ると、ちょうど2000年を超えたころとなるでしょうか。
その意味では時期的なところを考えると、前回の「続編」傾向はこの「リメイク」傾向と比較すると後に続いている傾向であるようにも見えます。そのサイクルを考えると、大体80年ころに発表された作品が2000年でリメイク。ということは20年くらいでリメイク、みたいな感じになったようでもあります。
ではリメイクの周期としては「20年くらい」みたいな目安になる?まあ当然そう簡単なものではないでしょうが。単純な映像技術の進歩があるから、今また「作り直したい」と考えるのであれば、もう原題は「どこまで進歩するの?」とビックリするくらい技術が進歩しまくっており、果たして今できた作品を「映像が気に入らないので作り直したい」なんて思うほど、ツッコミどころ満載の作品なんて出てくるだろうか?という観点があるでしょう。むしろ「リメイクしがいのある」オリジナル作を出していく必要がある、なんて変な観点が現われるわけですが(笑)。
こんなことを考えると、じゃあ近年発表される新作は、なかなかリメイクという格好に行かないのか、いやリメイクというビジネス形態がなんとなく成果を出しているから、むしろリメイクサイクルは短くなっていくんじゃないか?などといろんな考えが出てくるわけであります。
その一方で、やはりリメイク作品の成功/失敗のカギは、やはり「リメイクする意味」という点。全く同じ内容を単に刷新した映像で見れるようにする、なんてのは「果たしてリメイクした意味があるのだろうか?」と叩かれることはまず予想されるところ。
今回は今年公開されたホラーサイトの、二つのインタビュー記事より改めてその意味を考えてみたいと思います。
1.原作をリスペクトし、時代に合ったものを考える
ライアン・クルーガーは『Street Trash』を独立した続編であり、80年代映画への残酷なラブレターだと語る(Ryan Kruger Calls ‘Street Trash’ a Standalone Sequel and Gory Love Letter to ’80s Cinema) Fron『Bloody Disgusting』2024年11月11日 by Meagan Navarro |
『Street Trash』は、日本では1987年に『吐きだめの悪魔』という邦題で公開されたホラー映画。ジャンルとしてはホラー・コメディーというものでありましたが、公開当時に日本で見たビジュアルイメージは、ドラクエのスライムをメッチャグロテスクにしたような「溶けた人」のイメージが、自分にとってはかなりの衝撃を与えた作品でありました。
物語の筋としては、以下のようなもの。
「ニューヨーク市のマンハッタンに住む酒屋のエド。
ある日彼が自分の家の地下を漁っていると、その壁板の奥に60年前のものというワインを見つける。そしてそれを売ることを考え、1本1ドルで売り出す。
ところが、それを飲んだ人々がカラフルな体液を体から放出し溶け出してしまう。さらにたちの悪いことに、その溶けたものを浴びた者も、同じように溶けてしまう。
その事件を追う警官ビルは、浮浪者のリーダーでありベトナム復員兵のブロンソンに出会うが…」
その強烈なビジュアル・インパクトとは裏腹に、作品は日本国内ではそれほど大きなヒットに発展することはなかったように思います。要因としてはやはり『ゾンビ』公開以降のオカルト的な要素はなくただひたすらグロテスク、悪く言えばトップに「汚い」イメージが続くという印象の作品であったことは考えられるところであります。
いま改めて作品を見てみると、作品としてはまあB級もB級。映画評論としてはツッコミどころ満載の安っぽいものであるということは否めません。『ゾンビ』やほかのホラーのようなモンスターが現われるわけでもない。そう考えると、グロテスクな人の死という場面をのぞいたら「これはホラーなのか?」という印象すら感じられる、コメディー感満載。
しかし一方で、時代風刺的なカラーが考えられるものでもあります。2000年代になると、ニューヨーク、マンハッタンはかなり浄化され、この物語で描かれるような浮浪者街は、なくなってしまったのではないか?という感じとなったのではないでしょうか。大してこの70~80年代の映画でニューヨークとなると、ウォール街のようなハイソな光景の一方で、世紀末を想起させる荒廃した街のイメージが描かれることも少なくなかったように思われます。
またメインキャラクターの一人であるブロンソンの、ベトナム復員兵という設定を浮浪者というステータスに合わせたところなどは、まさに時代の不均衡を如実に表したイメージでもあります。ちなみにあの『ランボー』が公開されたのが1982年。これに続きベトナムの帰還兵を不遇の象徴とした作品は、その後いろいろと続いた印象でもあります。
貧富の差という問題は普遍的であれど、当時のように見るからにはっきりしていた社会状況に比べると、果たして今のニューヨークという場所にあるのだろうか。しかし貧富の差は未だ存在し、この問題に関してこの物語を利用し改めてメッセージを放つという行為は非常に深い意味のあるものでしょう。
人がドロドロに溶けて放つ光、蛍光色の体液がそこらあたりに飛び散りまくるそのビジュアルがインパクト大の作品でありました。ライアン・クルーガー監督はオリジナル作品に対する敬意を払いながら、新作を「独立した続編」とあくまで自身の誇れるべき作品として示してします。そこにはオリジナル作品の主題と印象深いアイテムのイメージを踏襲しながらも、今の時代に生きる自分の意志を反映させた新しい作品も予感できるところ。果たして世にはどう受け入れられるのか、かなり興味深いところであります。
2.外敵と闘い、自身の世界を守る
もう一人のローリー・ストロード:スカウト・テイラー=コンプトンがロブ・ゾンビの『ハロウィンII』から15年を振り返る(The Other Laurie Strode: Scout Taylor-Compton Reflects On Rob Zombie’s HALLOWEEN II 15 Years Later) Fron『FANGORIA』2024年10月30日 By Rocco T. Thompson |
一方、次に紹介するのは原題ホラー映画の伝説的な作品ともいえる『ハロウィン』シリーズのリメイクであります。
90年代にメタルバンド、ホワイト・ゾンビのリーダーとして活躍したロブ・ゾンビによるリメイク『ハロウィン』が2007年に発表されました。
往年のファンからは賛否両論の評価となったその後、2010年に続編『ハロウィンII』を発表。こちらは今になってみれば、どちらかというと批判的な意見のほうが強かったようでもありますが、そこはたとえば先ほどの話「今改めて見ること」「自分ならではのものを作ること」という方向性を突き詰めるなら、オリジナルからは多かれ少なかれの違いは当然のことであろう、と。逆にそんなに批判があったことは、それだけオリジナルのイメージが鮮烈で、多くの影響を人々に与えた象徴であるということだったのでしょう。
なので、見方を変えれば「ロブ版の『ハロウィン』シリーズを支持する人も、確かに存在する」ということも事実であろうことはうかがえます。
一方で、それ以外の外乱をどのようにコントロールするのかは、難しいところであります。そもそも、悪く言えば「全く新しいものを作らず、ブロックバスターの遺産を用いて更なるビジネスの成果を上げる」という方向がリメイクの道筋であり、その意味でも製作陣としてビジネス、ビジネスと現場でうるさく言う人間がいることは想像に難くありません。
このインタビューでは、悪名高いプロデューサーとして知られるハーヴェイ・ワインスタインにまつわる、現場におけるエピソードなど結構生々しい話も赤裸々に明かされており、非常に興味深い内容となっています。
どちらかというと否定的な意見の多い作品であり、監督だったロブ・ゾンビ自体もどのような気持ちでこの作品を完成させていたのか。
もともと『ハロウィン』の成功後、ロブ・ゾンビはシリーズを外れる予定だったようですが、その後製作者を模索するもうまく決められず、再びの担当となったという経緯があったようで、なかなかに製作者側のモチベーションの高さまで疑われたような様子がうかがえるところ。
その意味ではいわくつきの作品というレッテルが貼られてしまった印象もありつつ、それでも15周年を過ぎて「見てもらいたい」と思えるもの、考えをアピールする部分には、絶対に越えさせない彼らなりの境界線を守った、クリエイターならではの心意気のようなものも感じられるところであります。
このような話からは、改めて作品より「どこまでが守られたものなのか」「どんなポイントが、彼らが訴えたいものだったのか」などと改めて考えてみたくなるような作品であるな、と振り返る今日この頃であります。
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