
すっかり年も明けましたな。あけましておめでとうございます。
北の方面にお住いの方は天候でかなり振り回されている様子、心中お察しします。とはいいつつ、ここ広島はわりに天候に恵まれ、陽の当たるところにいると「暑いなぁ」と感じるくらい。この過ごし良さ、分けてあげたいくらいであります。
さて今回は新たな年を迎えた現在、ホラー・ジャンルから見える、考えられる一つの動向のようなものを考えてみたいと思います。こう言いながら紹介するのは『プー あくまのくまさん』。一昨年に公開されるや否や、大きな反響を巻き起こした問題作であり、その1年後にまさかの続編『プー2 あくまのくまさんとじゃあくななかまたち』が公開と、話題に事欠かないホラー。
「くまのプーさん」で育ったホラー嫌いの人からすれば「幼い頃の素敵な思い出に対する冒涜」などと非難の意見もあるかもしれません。しかしこの作品には「現代の人々が持つ一つの意識を比喩したもの」が含まれているようにも見えるのです…
増加する「童話のホラー化」

『プー あくまのくまさん』の内容を分析する前に、近年の同様な作品傾向を考えてみましょう。
映画の公開状況に見える一つの傾向としては、かつて童話やディズニーなどのブランドで世界中の少年少女を魅了したキャラクターを風刺したかのような作品が多く現れていることにあります。
ざっと上げるだけでも『マッド・ハイジ』(2023)、『ヘンゼルとグレーテル』(2013)、『シン・デレラ』(2024)などホラーだけでも顕著な傾向を持つ作品が登場しているところ。さらに2025年は『Popeye』、そして3月には『マッド・マウス ~ミッキーとミニー~』と、思わず「えっ?これやっちゃうの!?」と叫びたくなる作品公開が待っていきます。ホラー以外の作品では『白雪姫 あなたが知らないグリム童話』(2020)などというスリラーもありました。また「くまのプーさん」といえば『プーと大人になった僕』(2018)などといった作品も公開されています。
あらゆるジャンルで見られる傾向を見ていくと、時代的な「リバイバル推奨」的な流れが見えてくるところであります。しかしかつて子供向けの名作、あるいはブランドとして多くに親しまれた作品をぶち壊してトンデモナイ作品に作り変えてしまうというホラー・ジャンルの作品群に関しては、単なるリバイバル的アプローチではない「作らねばならぬ」と作り手をいい意味で追い立てた傾向があるのではないか、と思えるわけであります。
さて、その「ホラー・ジャンルで『童話』を狂気の作品にする」その真意とは…?
考えをハッキリさせる「バブル世代」、その認識に疑問を呈する「新世代」

グリム、アンデルセンなどの童話ができたのはかなり昔でありますが、やはりイメージとして人々の脳裏に焼き付いているのは、ディズニーの手により作り上げられたアニメーションができ発表された時代のほうがかなり強いことでしょう。またこの時期は新しい作品としてミッキー・マウスのユニバース、「くまのプーさん」、その他もろもろのキャラクターが現れ、当時の少年少女の成長に強い印象を残しています。時代的には60〜80年代というところでしょうか。
その意味で、この世代の人々にとって幼少に見たこれらのアニメーション物語はある意味絶対的でもあり、その物語を崩すということはまず考えられないものでもあるといえるでしょう。
しかし新たな時代における人たちと、この「古き良き時代」を疑わない人との間にあるさまざまな考え方、感じ方のギャップはさまざまな社会課題がある中で一つの大きなポイントですが、この古い時代の名作を推す「古き良き時代」の人たちの感じ方を、新たな時代の人たちは理解できていないのではないでしょうか。
たとえば時代的な経緯を考えると、バブル崩壊までを渡り歩いた人、そしてそれ以降の人生を歩んできた人では、考え方に大きな隔たりがあります。
バブル世代の認識としては、何かの争いの中で「善」と「悪」という存在が、わりにはっきりしていた傾向があるようにも見えました。映画『ゴーストバスターズ』などはその最たる例であるともいえるでしょう。
しかしその認識は、年を経る毎に変わっていきます。「コンプライアンス」という認識が広まり始めたのもこの時期で、勧善懲悪的なエピソードは「本当に悪い奴らは悪いだけ?」「いい人と決めつけられているけど、欠点はないの?」とさまざまな疑いをかけられ、発表される映画もなんとなく「悪役らしくない悪役」「正義らしくない正義の味方」も徐々に増え始めていきました。
そしてその傾向は「善悪」という認識自体を全く曖昧なものとしてしまっています。

そしてそんな時代間のギャップは、ある意味過去への疑問を生んでいるようにも思えてきます。たとえば日本では「高度経済成長」と呼ばれる時代。アメリカはベトナム戦争という社会的非難を浴びた出来事のあとで、国自体は「強いアメリカ」を唱える絶対的な地位を築いた時期。この時代の社会を懸命に生きた人たちは、その次代を「良き時代」と認識していることでしょう。
しかし現代の「コンプライアンス」を始めた認識から比較すると、かつての人々が時代の流れとして完全に誤っているものも実は多くあるにも関わらず「自分たちが未来を作った」と自負していることに、強い違和感を覚える若者もたくさんいるわけです。
そしてたとえば近年多くリリースされるリメイク、リブート作品。その多くはどこか過去の作品の「今の考えではマズイ」と思われるところをあからさまに修正した、という印象の作品も多く見受けられ、なにか新たな世代の人たちの、反発のような意思も見えてくるわけです。
『プー あくまのくまさん』から見られる時代的傾向、そして未来

そして『プー あくまのくまさん』でありますが…
『プーと大人になった僕』は、アプローチとしてはわりにこのホラー作品と似たようなところがあります。しかし結果的にプーたちが「復讐」という格好で主人公クリストファー・ロビンとの再会をはたす、というストーリーはショッキングでもあり、なにか美しいイメージで描かれていたクリストファーとプーたちとの関係を、今になって完全否定しているようでもあります。
そして新たに発表された『プー2 あくまのくまさんとじゃあくななかまたち』は、クリストファー自身もその「美しい過去の思い出」を否定しプーたちへの敵対心を育んでいきます。
またこの作品のユニークなところは、あえてプーたち動物たちの発祥エピソードを新たに作り出しているところ。オリジナルはそんなエピソードはなく自然発生した「可愛らしいイメージ」しか彼らに与えていませんが、この作品ではなんとある意味SF的にも見える奇想天外なエピソードを物語に折り込み、現実に近い空気感を作り出しています。
プーたち動物の惨殺シーンはもちろん強烈なものでありますが、プーたちの怒りの表情はある意味この2作の物語で「古き良き時代」の人たちが受けた印象に対するアンチテーゼのようなイメージを作り上げているようでもあり、なにか時代の流れを感じるポイントが見えてくるものであります。
はたしてこの作品の続編、三作目はできるか?という予想自体はあまり意味を感じさせませんが、同様に「過去を問う」という作品は、昨年に引き続きますます増えていくだろうということは予想できるところでしょう。
単に「リメイク」というテーマが大きなビジネスチャンスとなっているだけでなく、なにか過去に対する疑問や不満を打破するようなイメージが、多くの人の気持ちに響くというイメージが時代的にもある合っているようでもあり、「コンプライアンス」的な壁に阻まれるまでは行き着くところまで行くであろうことが予想されるからであります。
Comments