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【コラム】映画『ハロウィン』シリーズの示す「恐怖」を改めて考える

執筆者の写真: 黒野でみを黒野でみを

(C)2018 UNIVERSAL STUDIOS

いよいよ今年のハロウィンがやってきました。首都圏特に渋谷や新宿歌舞伎町などでは「路上飲酒」禁止などと警察などが戦々恐々としたり…(笑)あ、いや笑ってはいけないのですが、どちらかというと日本の風俗という点では馴染んでいないイベントであり、残念ながら国内でそのその本質的な部分に触れることはまず難しいのではないかという気もします。


まあそれはそれとして、ホラー映画の歴史の中でも大きな功績を築き上げたともいえる『ハロウィン』シリーズ。映画という観点で特別に目立った評価が広まったわけではないものの、現代ホラーの基礎を作り上げたという点では非常に重要な作品であり、かつ独特な世界観をもつ唯一無二のものであるといえるでしょう。


この作品シリーズに対する論評は様々あるかと思いますが、今回は作品に関する特別なトリビアや知識を省く、という前提でシリーズが示しているものという点について考えて見たいと思います。「単なるスラッシャー作品」という位置づけではあまりにももったいないこの作品、皆さんはご覧になると、どのように感じられるでしょうか。私は、こんな感じ…



 

「死ぬことのない恐怖」こそが物語の本質


(C)2018 UNIVERSAL STUDIOS

ハロウィン』シリーズは、いわゆる連番が付与されているものが1~6まで、さらに『ハロウィンH20』、『ハロウィン・レザレクション』と続いた物語、そして2018年に公開された、第一作と同タイトルの『ハロウィン』より『ハロウィン KILLS』『ハロウィン THE END』と、全11作のシリーズ。ただし第三作の『ハロウィンIII』はシリーズからすれば「外伝」的な物語であり、シリーズのメインキャラクターであるマイケル・マイヤースも登場しない、「シリーズの1作品」としては評価が難しい作品であります。


その意味では、シリーズ通して作品を見ると、まずは三作目を除いた10作品で物語を検証するとわかりやすいのではないかと思うのですが、一連の物語で目に留まるのが、そのマイケル・マイヤースという登場人物の不思議さにあります。


一番のポイントとして「彼が死なない」「何度でもよみがえってくる」ということに対し、なんの説明も描いていないという不可解な点があります。


(C)2018 UNIVERSAL STUDIOS

このシリーズの初作が発表されたのは1978年。そしてスラッシャー映画の金字塔ともいえる映画『13日の金曜日』のシリーズ初作が公開されたのが1980年でした。後発の『13日の金曜日』が話題を呼び、なんとなく物語の筋に類似点がある、というような評価を得たことで、二つのシリーズはどうも比較される傾向があるように見受けられます。


しかしそこに存在する決定的な違いというのが、この「殺人鬼が不死」であるということの根拠、その有無という点にあるのではないでしょうか。『13日の金曜日』シリーズは第二作より殺人鬼ジェイソン・ボーヒーズがシリーズ毎に「雷に打たれた」とか「超能力者の人知を超えた力によって」などといった、何らかのこじつけで(笑)、何度もよみがえってはシリーズをドライブさせている、という感じでシリーズが続いていました。


ところが『ハロウィン』シリーズのマイケル・マイヤースは、どうもこの「なぜ生き返ったか」という点をあいまいにしているような傾向が見受けられます。殺人鬼に立ち向かう人々はこれでもかといわんばかりに銃弾を彼に打ち込み、あるいはバットや斧などで殴り倒し、「普通だったらもう死んでるだろう、あるいは立ち上がれないだろう」という状態にまでなっても、なお立ち上がってきます。しかし物語ではマイヤースがまだ生きている、ということに理由付けを明確にしていないようでもあります。


(C)2018 UNIVERSAL STUDIOS

これはシリーズ通して考えると「敢えてそうしている」のではないか、と感じられるところでもあります。たとえばゾンビ映画の元祖ともいえるジョージ・A・ロメロ監督作品『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』『ドーン・オブ・ザ・デッド』といった作品は、どちらかというといきなり「生き返った死者が人を襲う」という不可解な現象がすでに社会で認知されている状態から物語が始まります。


『ドーン・オブ・ザ・デッド』は日本で初公開された際には、この点を不可解と見て、さらに「ここがハッキリしないと公開してもヒットしない」と判断され、敢えて「宇宙から落ちてきた隕石が何らか影響をもたらした」という理由付けをにおわせるイントロ映像を付け足した、などと言う今では考えられないエピソードが存在するほどであります。


近年の『バイオハザード』シリーズやダニー・ボイル監督の『28日後…』に続く続編シリーズでは、そこにゾンビ化の理由を「人の細胞を誤った格好で活性化するウィルス」やその他の病気などといった形でつけていますが、ロメロ監督はあまりそこに注視していなかったとも見え、物語の要点として考えていたのは「もしそんな前提が理屈抜きで在していたとしたら、社会はどうなる?」というその経過の部分ではないかというところに目が向きます。


この『ハロウィン』シリーズにも実は似たような観点があるのではないか、とも見られます。ジョン・カーペンター監督が手掛けた第一作から引き継いだ物語上の要点は「死なない殺人鬼」そのものより「倒せない相手に遭遇した恐怖」というポイントに帰着するのではないかという論点が見え、そこに「ハロウィン」、ブギーマンといった寓話的な要素が深い意味を感じさせるものとなってくるわけです。


最終章『ハロウィン THE END』におけるラストシーンはかなり衝撃的で、ある意味見る人によっては物議を醸すものでもありますが、まるで「真の恐怖」を消し去るにはこれしかない、といわんばかりの強烈なメッセージを示していると感じられるものでもあります。


 

本当の恐怖は「マイケル・マイヤース」ではなく、それを作り出したもの



先にも書きましたが、『ハロウィン』はかつて『13日の金曜日』と比較されるような節がありました。第一作、続く第二作は独特なカラーを醸したものの、第四作よりジェイミー・リー・カーティスが復帰した『ハロウィン H20』、『ハロウィン レザレクション』まで、どこか「殺人鬼の恐怖に追われる人々」という構図を延々と描き上げ、さらに主人公のエピソードをうまく載せてシリーズとしてつなげるという格好で終始していました。


そして2018年、16年の時を経てシリーズは再び『ハロウィン』の名で復活を遂げたわけですが、これ以降に発表された『ハロウィン KILLS』『ハロウィン THE END』の流れには、第四作より『ハロウィン レザレクション』までの流れとは決定的に違う方向性が見えました。


それは物語が「マイケル・マイヤース自体の恐ろしさ」よりも別な恐怖に言及している点にあります。2018年の『ハロウィン』では、どちらかというとそれまでのシリーズ、つまり死なないマイヤースがとにかく人を殺しまくり、自身のいとことなるローリーを追いかけるという展開でしたが、一方でこの作品では、ローリーの存在が少し変わったものとなっています。


(C)2018 UNIVERSAL STUDIOS

それまではどちらかというとマイヤースに対し常に逃げ腰であった彼女でしたが、この作品では「マイヤースを倒す。彼を倒さなければ、私の人生は取り戻せない」と開き直ったような表情を冒頭から見せています。実はこの彼女の視点が物語の大きなポイントになるのですが、その視点はマイヤースに合えなく殺されていく人々と比較すると、どこか違った見え方となっています。マイヤースを恐れず、さもすれば相打ちにまでして倒そうとする意志。


この視点があることで、物語からはハッとさせられる要点が見えてきます。続いた『ハロウィン KILLS』では、この物語の40年ほど前にハドンフィールド(物語の舞台となる架空の町)で起きた殺人事件に出くわしたことで人生を大きく狂わされた人々は、猛烈な怒りの目をマイヤースに向け「彼を殺す」とばかりに街へ繰り出していきます。ところが町の人たちは返り討ち……。


この顛末は、単に「死なない殺人鬼の恐怖」というだけでなく「殺人鬼が生まれた本質」のようなもの、そしてその本質がどれほどに恐ろしいものかということを如実に示しているようでもあり、それまでシリーズで見られた本質の部分をひっくり返されたような衝撃すらおぼえてきます。


そしてシリーズの最終章『ハロウィン THE END』では、この新たに見えてくる本質に加えて「恐怖は伝搬する」という刺激的な要素を加えています。ある意味マイヤースの恐怖をそのまま受け継いだような人間が新たに生まれてくる、そんな感覚を、現代社会に蔓延する「いじめ」などの社会問題に織り交ぜて描いているわけです。



結果的に「殺人鬼が生まれた本質」、それは私たちの身近にあるものである。物語はそう訴えているようでもあります。「結局、人間が一番怖い、ってことよね」と簡単に片付けてしまう人もいるかもしれません。しかしその身近にあるものは、どちらかというと人の無意識の中に存在する、まさしく闇のようなもの。


誰もが抱えているその闇のようなものを、一つの具体的な恐怖の例として描いているのがこの作品であり、その意味では単に「怖い」「楽しい」という感覚的な影響だけではない、自身の心の奥底を見つめさせてくれるような効果のある作品であるといえるでしょう。



 


シリーズ中盤、第四作以降は残念ながらエンタテインメントに軸を大きく傾けられ「どれだけ殺人鬼がむごたらしく人を殺すか」という単純なテーマに焦点が当てられる傾向がありましたが、敢えて近年新たな方向性を見出すべくシリーズが再起動したのは、当初から『ハロウィン』シリーズのあるべき方向性を追求する向きがあったのではないか、とも考えられます。




2007年にはロブ・ゾンビ版がシリーズのリメイクを発表、賛否両論を得ました。カーペンター監督はこの作品をそれほど好意的には受け取らなかったようですが、作品発表の時期的な点や物語の方向性を考えると、ある意味シリーズの新たな展開を起こす起点と考得られるのではないかとも思われます。


ちなみにこの作品の印象ですが、オリジナル作品と比べると冒頭に描かれるマイヤースの幼少時代がかなり細かく、マイヤースの狂気が生まれる理由が明確に分かり過ぎているような感じも見受けられます。また音楽に関してもシリーズ独自の「あの曲」ではなく、泥臭いブルーズを思わせるBGMが流れたりと、確かにオリジナルから、物語の屋台骨が若干ずらされている印象も見えてきます。


また同ロブ・ゾンビ版『ハロウィンII』からは多少超常現象的な線を狙った感もあり、あくまでオリジナル志向を支持する人から見れば、違和感はぬぐえないところであるかもしれません。それでもある意味『ハロウィン』シリーズを再評価し、自身なりの受け止め方で作品を消化し新たな作品を作り上げたという点では評価もできる作品といえるのではないでしょうか。


※画像はすべて映画『ハロウィン』(2018)より

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